あの娘が消えた / マイケル・ジャクソン
こんにちは、Ellieです。
2019年11月9日。札幌のソウルバーMAYBEの充さんが亡くなってから今日で2ヶ月。突然襲ってくる胸の痛みも、うっかりすると涙がこぼれるのも相変わらずで、変わったことと言えばそれを日常の一部として受け入れつつある私Ellieの気持ちくらいでしょうか。
もうひとつ、家の中にちょっとした変化がありました。思い切って充さんの写真を飾ってみたのです。考えないようにしても考えてしまうし、それって結局強烈に意識していることに変わりはないので、もう目に付くところに写真があった方がいっそスッキリするかなと。
そう言えば充さんもMAYBEの店内の一番目立つ場所にSOUL COPのMASAさんの写真を遺影として飾っていて、「人生で一番飲んだのはこいつが死んだ時だな。一晩で何本もジャックを開けて、かあちゃん(奥様)に『あんたも行くのかい』って言われて我に返った」と話を聞かせてくれたことがありました。
充さんのお通夜でも、テーブルにジャック・ダニエルの瓶が沢山並んでました。少量のアルコールでダウンしてしまう私はお酒に逃げることはできなかったので、脱水症状を起こすか瞼が腫れて目が開かなくなるんじゃないかと言うくらい泣きまくったわけですが。(そしてどうやらそれでもまだ泣き足りないと言う...)
充さんの写真を飾った直後は何か常に見られているみたいで落ち着かなかったのですが(笑)、すぐに慣れました。そして日が経つにつれて、不思議なことに気づきました。
まずは笑顔の充さんの写真を飾ったことで、充さんの顔を見ると自然と顔の筋肉が緩んで笑顔になれること。そして写真は変わらないのに、その日の気分によって見え方が変わること。最近では小まめに自分の気持ちと向き合うきっかけを貰っているような感じです。そしてたまに夫婦で、「何でいなくなっちゃったの、くそオヤジ!」なんて写真に向って悪態ついたりしています(笑)。
主人はこの写真を見て「めずらしくふにゃっと笑った顔だね」と言いましたが、私に話しかける時の充さんはいつもこんな風に優しい顔をしていました。ちなみに(見えづらいですが)小さい紺色の額に入った写真は、手前から主人、(充さんの愛弟子?)芳川さん、充さん。MAYBEのカウンターで私が撮った一枚です。
写真だけでは寂しいので、隣にレコードを飾りました。充さんと芳川さんのお気に入りだったというLove Ballads(14枚組)。主人もお店(ソウルバー・フィンガーポップ)をやっていた頃には大切にしていたセットだそうで、私がソウルファンになってから「手放さなきゃ良かった...」と悔やみまくっていたのを、私があちこち探しまくって入手した我が家の家宝です。
今回はこのセットの1枚目の1曲目、Michael Jackson(マイケル・ジャクソン)の She’s Out of My Life(シーズ・アウト・オブ・マイ・ライフ / あの娘が消えた) をかけたいと思います。Michael Jacksonの歌声と英語詞独特の文末の韻の踏み方がとても美しい、別れの悲しみと愛に満ちた一曲です。
行きつけのお店で美味しい食事をして、MAYBEのカウンターでリラックスした夜を過ごすためだけに、毎回平均1週間の時間を確保して主人と札幌に通ったこの十数年間。札幌滞在中はMAYBEが休みでない限り毎晩遅くまで、時には朝まで、あのカウンターにいました。気づけばここ数年は自分の実家にいるよりも長い時間をMAYBEで過ごしていました。
なので「もっと会いに行っていれば」というこの歌のような後悔はありません。でも、もっと会いたかった、まだ話したいことも沢山あった、まだまだこれからだったのにと、思わずにいられません。だって数年内に札幌に引っ越す予定だって伝えたばかりだったから。
ねえ、充さん。待っていて欲しかった。私のこの先の人生からはいなくなっちゃったけど、これまでの人生にも心の中にも、充さんはずっといるよ。ここからは絶対、いなくならないでね?
Michael Jackson / She’s Out of My Life (1979)
She's out of my life
彼女は僕の人生からいなくなった
She's out of my life
彼女は僕の人生からいなくなった
And I don't know whether to laugh or cry
笑えば良いのか泣けば良いのか分からない
I don't know whether to live or die
生きれば良いのか死ねば良いのか分からない
And it cuts like a knife
そしてそれはナイフのように僕を切り裂く
She's out of my life
彼女は僕の人生からいなくなった
It's out of my hands
僕にはどうすることもできない
It's out of my hands
僕にはどうすることもできない
To think for two years she was here
彼女がいた2年間を思うと
And I took her for granted I was so cavalier
いるのが当たり前だと思って自惚れていた
Now the way that it stands
そしてこのザマだ
She's out of my hands
彼女は僕の手の届かないところへ行ってしまった
So I've learned that love's not possession
だから僕は知った 愛は所有することではないことを
And I've learned that love won't wait
そして僕は知った 愛は待ってくれないことを
Now I've learned that love needs expression
今なら分かる 愛は表現することが必要だと
But I learned too late
でも知るのが遅すぎた
She's out of my life
彼女は僕の人生からいなくなった
She's out of my life
彼女は僕の人生からいなくなった
Damned indecision and cursed pride
馬鹿みたいな優柔不断さとくだらないプライドが
Kept my love for her locked deep inside
彼女への愛を奥深くに閉じ込めてしまっていた
And it cuts like a knife
そしてそれはナイフのように僕を切り裂く
She's out of my life
彼女は僕の人生からいなくなった
せっかくなので最後にちょこっと英語に関する解説を。
“(be) out of my hands”とは、「(対象となるもの・主語が)自分の手が届く範囲にない状態」を示す表現です。この表現が出てくる箇所をそれぞれ見てみます。
It's out of my hands
僕にはどうすることもできない
この箇所では、対象となるもの=主語が it です。この it は「彼女がいなくなってしまったこの状況全体」を指しています。つまり「彼女がいなくなってしまったという事実そのものが、自分の手の届く範囲に無くて自分にできることが何も無い」という解釈で、和訳も「(この状況を)僕にはどうすることもできない」としました。
She's out of my hands
彼女は僕の手の届かないところへ行ってしまった
ここでは主語は she(彼女)です。これは前出の it が主語の箇所とは異なり、「彼女が自分の手の届く範囲からいなくなってしまった」という意味になるので、和訳を「彼女は僕の手の届かないところへ行ってしまった」としました。
この2箇所は同じ表現が使われているものの、それぞれの主語の違いから、解釈と訳し方も微妙に違うのです。